『ことばの相談室』徒然

ことばやコミュニケーションについて心配や気になること、お子さんに聞こえの問題があり子育てに不安がある、発達全般について心配がある・・・などなど、国家資格を有するカウンセリングサロンです

人工内耳と発達障害

今、人工内耳の手術ができる年齢がだんだんと早くなってきています。以前は1歳半と言われていた年齢が、なんと1歳から(体重が8キロ以上)可能となっています。

私は1歳という年齢での手術に疑問を感じます。たぶん、私だけでなく、他の皆さんも思っていることだと思います。

 

なぜ、疑問に思っているのかをお話しすると、まず、1歳という年齢ではまだ正確な聴力がわかりにくいということ。

赤ちゃんの視力もですが、聴力も1年かけて発達します。聞こえる赤ちゃんでも、生まれてすぐの頃は大きな音にしか反応ができません。だいたい90デシベルの音に反応ができ、半年くらいたつと60デシベル(人の話し声程度)の音に反応ができるようになります。そしてさらに聴覚は発達し、1歳くらいでやっと小さな音にでも反応できるようになるのです。この場合の月齢は、生活年齢ではなく、精神発達年齢で考えていく必要があります。ですから発達がゆっくりなお子さんの場合は、気をつける必要があります。

聞こえない・聞こえにくい赤ちゃんの場合はその過程で音への反応の頭打ちがきます。1ヶ月に1度程度聴力検査をするのですが、聞こえない・聞こえにくい赤ちゃんの場合は、聞こえる赤ちゃんのように聴覚が発達していかないのですね。

なので、1歳になってすぐに人工内耳の手術というのは、まだ聴力の状態がきちんとわかっていない場合もあると思われるので、どうなのかなぁ〜、と思います。

 

それから、もう一つ。1歳ではまだ、その子の発達がどうなのかが見極められないのです。たとえば、自閉症スペクトラム症候群があるお子さんたちの場合、1歳ではなかなかわからない。早くても3歳以降になって、「やっぱりこの子は自閉症スペクトラムがある」という診断がつけられるようになります。知的障害と自閉症があり、かつ聴覚障害を持ち合わせ、人工内耳の手術を受けたお子さんがいます。そういうお子さんを何人か知っているのですが、装用することだけでも難しいのが現実です。親御さんたちとお話しをすると、手術前にお子さんに発達障害があると思っていなく、人工内耳を装用すれば発達が落ち着くのではないか、全ては耳のせいなのではないか、と思われるようです。それで人工内耳手術をしたのだけれども、行動は全く落ち着かない。実はこの子は聴覚障害だけではないのではないか、と手術後にだんだんと理解していくというのが現実です。子どもを理解していく過程は親御さんにとって、本当に大変な時間だと思われます。

ある自閉症のお子さんは、人工内耳をつけると怒ってゴミ箱に捨てていました。お母さんは最初はそれを受け入れられなかったのですが、途中からその子の意思を尊重してあげていました。その決断をするのに、親御さんはどんなに葛藤をしたことだろうと思い、胸が痛くなります。

自閉症という障害は、聴覚過敏があったりすることがおおいので、逆に人工内耳をつけないほうが落ち着いて生活できたりするのかも知れません。

 

病院では、人工内耳を入れたことで、聴力検査の結果が人工内耳を入れていないときよりも良くなった、ということで評価をするそうですが、それだけで評価をすることはどうなのかな、と思うことが多いです。

聴力だけでなく、その子の発達全体、その子の発達の状態、その子の育っている環境、そういうことも全部考えた上での人工内耳手術、という風になればいいな、と思います。

 

私の友達が素敵なプレゼントを贈ってくれました。イギリス製のアンティークのバターナイフ。なんと100年前のですって!すっごいロマン溢れるナイフ。

 

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人工内耳という選択

かなり前なのですが、「音のない世界で」というアメリカのドキュメンタリーを見たことがあります。内容がとても深く、難しく、考えさせられるものだったので記憶に残っています。たしか以下のような内容でした。

 

ろう者の夫婦に生まれた聞こえない女の子の話から始まります。その女の子は聴者の文化に憧れがあり、人工内耳の移植を希望します。両親は娘にろう者として誇りをもって大きくなって欲しいと望んでいます。結局、どんな経過で女の子の気持ちが変化したのかまでは覚えていないのですが、女の子は人工内耳の移植をすることを選択しませんでした。

 

コーダ(ろうの両親から生まれた聴者)である娘に聞こえない子が生まれます。ろう者の祖父母は大喜び。コーダである娘は、聞こえない文化、手話言語を充分理解していて尊重しているのですが、最終的に聞こえない自分の娘に人工内耳の選択をするというものです。コーダである娘が、聞こえない自分の娘に人工内耳をさせることで、ろう者である自分の両親や今まで自分を可愛がってくれた聞こえない人たちを否定することになるのではないか、と悩み、苦しみ、彼女の心の葛藤も描いていました。

 

先日ある本を読みました。聞こえる両親が聞こえない子どもに人工内耳を選択し、その後どのように聞こえない子どもとの関係が変化していくかを数年間にわたって丁寧に追ったものでした。対応手話と音声を使って子どもを育ててきた夫婦2組の話です。それまでは全く音への反応がなかった子どもに、音への反応が見られるようになったということで、聞こえる親にとっては子どもと通じているという感覚が強くなり、子との関係性が変わってきたということを書いています。そして聞こえない子が、親の音声言語を通した著者の言う<声ににじみ出る気持ちの輪郭を理解する>ことで、子ども自身の心の育ちの発達に大きな影響を与えるのではないか、という主旨のものでした。音声日本語を母語としている聞こえる親にとっては、音声言語に自分の気持ちが声のトーンとなって表現される。それが子どもに伝わりやすくなるということで、相互の気持ちの通じ合いの質的改善が認められたということも書かれています。聞こえる親は子どもが少しでも音の世界に近づいてくれると、やはり自分と同じ世界に近づいてきてくれたということで嬉しいのでしょう。しかし、その反面、音声での反応があるということで、聞こえる子どもになったのではないか、という錯覚が両親のなかにおこり、コミュニケーションのすれ違いも起こる場合があることを指摘しています。

そしてその本には、「人工内耳をしたとしても聞こえにくさは解消されないし、聴取改善には個人差が大きい。人工内耳を外せば装用者は再び音のない世界に戻っていくわけであり、その手術は決して聴覚障害を治療するものではない」と書かれています。なので、視覚的な手段である手話や指文字は必ず与えること、そして聴覚障害の仲間とのつながりも大事であると。また、人工内耳の子どもたちに手話や指文字の使用が自由に開かれている、という環境を与えることは大切である、と書かれています。

 

北欧では聞こえない子が生まれたとなると、親は仕事を1年間お休みし、手話講座を集中して受けると聞きました。子どもが人工内耳をしたとしても、手話を与える、ということになっているとのこと。

 

以前、人工内耳をした大学生数名に話をきく機会がありました。装用効果がある人もいれば、そうではない人もいました。でも、共通していたことは、全員が手話を使っていました。日本語対応手話+音声の人もいれば、音声なしの手話の人もいました。そして会場から、子どもに人工内耳をさせるか?という質問があったときに、全員が「させない」と答えていました。

 

私のところに相談にいらっしゃる聞こえる親御さんは、生まれたばかりの赤ちゃんが聞こえないと言われ、それだけでも相当ショックであるのに、何がなんだか分からないまま、やれ補聴器だ、やれ人工内耳だ、療育はどうする、手話を使うのか使わないか、などの選択を次から次へと迫られ、心が落ち着かないまま育児をすることになります。少しでも親御さんの気持ちがはやく落ち着くようにと願わずにはいられません。

 

これからますます人工内耳装用者が増えていくことになるでしょう。人工内耳をして、手話を使わずに育て、聞こえる子の小学校へ入れることを目標に訓練をしているという病院や療育施設があります。私はその考えに反対です。

 

人工内耳の選択は親御さんがするものです。ですから私がその選択をどうのこうの言う立場にはありません。充分な情報を集め、夫婦でよく話し合って決めていただきたいと思っています。そして、選択をする前に、たとえ気持ちが落ち込み、悩み、落ち着かなかったとしても、自分たちの気持ちを律し、聞こえない・聞こえにくいとはどういうことかを充分に理解するように努めてもらいたい。どのようなコミュニケーションをとればよいのかを理解し実践し、子どもに向き合って欲しい。また、子どもと同じ聞こえない人達にたくさん会って欲しいと思います。将来、子どもにどんな風に説明をするのかもきちんと考えておくこともお願いしたいです。

 

そして忘れて欲しくないのは、人工内耳をしても聴覚障害を100%治療できるものではなく、難聴になるためのものであり、必ず聞こえない・聞こえにくい仲間とのつながりや手話や指文字を与えてあげて欲しいと思います。

 

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南村先生の本、在庫まだあります。お問い合わせください。

 

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南村先生の本

私の恩師である南村洋子先生の本ができました!

 

初めて南村先生にお会いしたのは、先生がトライアングルの教育主任をおやりになっているときでした。実習先が数日前になって急きょトライアングルになったのです。本当は別の小児施設へ実習に行くことになっていたのですが、そこへ実習に行くことになっていた同期が突然行けなくなり、私と交代することになったのです。

 

私は本当にとんでもない人で、聴覚障害に関しては一応は勉強していたのですが、まったくと言っていいほどに興味がなく、何もわからないまま実習の日を迎えました。

その実習での様子は以前書いたブログ(2017年9月 理想的な子育てのチャンス! http://heart-kotoba.hateblo.jp)でちょっと紹介しています。

 

南村先生に会うまでは、私は言語聴覚士の仕事の王道である、失語症の分野での言語聴覚士になることを目指していました。今は亡くなった父が50歳のときに脳梗塞を患い、その様子を見ていたからです。失語症にはならなかったのですが、右脳のダメージが大きいとやっぱり変なのですよね。コミュニケーションが成立するようで成立しない。噛み合わない。父がきっかけでこの道を目指すことになったと自分自身を理解したのは、だいぶあとだったのですが。また、あの時代のリハビリの施設での専門家と言われる方達の対応にも、父と一緒に悔しい思いをしたことがありました。

 

不思議ですね。人間の縁は。

私は南村先生に会わなかったら、小児の分野での仕事はしていなかったのです。

なぜ、聴覚障害の分野に興味を持ったのかを考えると、やはり海外での生活が長かった、ということがあげられると思います。異文化の中で暮らすって、ある面ではとっても大変なのですね。いつも緊張しているというか、なんか地に根っこが生えないというか。いつも疎外感的なものを味わい、そして誰かと一緒にいてもなんとも言えない孤独感があるのです。言葉の面でも、冗談なんて一緒に笑えないことが多い。言葉の壁を克服したとしても、その国の人が小さい頃から、皮膚から吸収するようにして育まれることばや文化の前では、私は入っていけないただの外国人なのです。冗談なんて宗教からくる冗談もあるので、よくわからないことがある。そして重苦しくなるような街並み。何百年も前から建っている歴史のある建物。その街並みは、何百年も前から何も変わらない。そういう中での暮らしを体験し、コミュニケーションについてすっごく悩み、その体験が多分重なったのだと思います。

 

南村先生のところでの実習のとき、フランス人の中にいて、私ひとりが笑えないという体験を話しました。そのときに南村先生が「でも、あなたは聞こえる人だから、わからないことがわかるのよ。そこにその情報があることがわかり、自分がわからなかった、ということがわかる。そこが違うの」と言われたことを思い出します。

 

言語聴覚士という仕事は一般的な仕事ではありません。<普通>に生活してきたら、多分、一般的には、<普通>には選ばない道だと思います。

言語聴覚士に限らず、こういう仕事、こういう勉強をするということは、自分の中に何かきっかけがある、ということなのです。自分の中に問題や解決できていない問題があり、興味がわく。そういうことだと思っています。

だから、聴覚障害教育に限らず、障害児教育に携わっている人は、変な言い方ですが、自分は<一般的な道や考え方から外れた>という思いを持ちつつ、自分自身を見つめながら相手に接することが大切と思っています。

 

南村先生の本。ハート&コミュニケーションでも売っています。どうぞハート&コミュニケーションのホームページのメールからお問い合わせください。1冊1200円です(送料は別)。

 

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手話と音声

「手話を使うと音声が出なくなるので、手話を使うのはやめたほうがいい」「手話を使うと目に頼ってしまって、耳を使わなくなるから、手話は使わないほうがいい」と、言語聴覚士(ST)や医師に言われたという親御さんが時々いらっしゃいます。初めて見学にいらっしゃる親御さんたちは、学校で手話を使っている、ということを聞き、心配になる方もいらっしゃるようです。また、言語聴覚士に「手話を使うことをやめなさい」と強く言われ、不安になり、学校に来る足が遠のく方もいらっしゃいます。学校での子どもたちの様子を見て、そうではない、ということが分かり安心される方もたくさんいます。

 

私がみている子どもたちは赤ちゃんの時から、手話(日本手話ではない日本語対応手話)+音声日本語で育てられています。

 

聞こえない両親に育てられている聞こえにくいお子さん。ご家庭ではもちろん音声無しの日本手話。学校へ来ると日本語対応手話。でも、ちゃんと音声が出ています。しかも結構明瞭!そして、聞こえないお友達とおしゃべりをする時は日本手話を使って、日本手話ができない聞こえる人と話す時は、日本語対応手話+音声日本語で、などと小さいのに相手のコミュニケーションモードを察知し、そのモードに合わせてくれるのです。すごすぎ!

 

軽い難聴でとってもきれいにおしゃべりができるお子さん。ご両親(聴者)がろう学校を選択して小さい頃からずっと通っています。その子もコミュニケーションモードをその時その時で変えて生活をしているからすごい。私にしゃべりかけて来てくれた時は、音声日本語でした。(この子との初めてのおしゃべりはとっても衝撃的で、多分一生忘れない!一緒にたまたま給食を食べている時に「先生のお腹には、赤ちゃんがいるの?」でした。(苦笑) だから「ただ、太っているだけ」と返事。アハハ)この子も様子を見ていると、ちゃんとコミュニケーションモードを切り替えています。聞こえないお友達とは音声無しの手話。聞こえにくいお友達とは日本語対応手話+音声日本語。

 

反対に、誰も教えていないのに、日本手話的な表現が乳幼児クラスにいる時からできるようになるお子さんもいます。この子は聞こえる両親に育てられている聞こえにくいお子さん。家では日本語対応手話+音声日本語で育てられ、どちらもできるようになってきています。誰も教えていないのに、「僕、できたよ」と手話で表現した時だったかな。頬を最後にプッと膨らませる表現をしたのです。これは日本手話的な表現。どこで覚えたのかな、と考えてみると、多分、クラスの中でだと思います。クラスにいるデフファミリーのお子さんたちとその両親とのコミュニケーションの中で自然と学んだようです。

 

聴力が厳しいお子さんで、ご両親は聴者。小さい頃から手話+音声で育ち、どちらも上手になっているというお子さんもいます。

 

ダウン症の聞こえにくいお子さん。以前もこのブログで書きましたが、手話を始めて1年くらいたった時、おっぱいという手話と「オパー」という音声言語が一緒に出ました。お母さんは大喜び。

 

聞こえにくいお子さんたちを見てみると、ほとんどのお子さんで最初に手話での表出が出てきます。手話はイメージがしやすい言語です。自分の頭の中のイメージとイメージしやすいことばが最初に結びつけられ、そのあとに音声言語が出てくるという様子が見られます。人間の発達は動作模倣から音声模倣という発達をとげるので、手話が音声を促すことにも役立っているのかも知れません。

 

また、手話を小さい頃から与えることで、言語の獲得、情報の獲得、知識の獲得、知的な面での発達は、聞こえるお子さんと遜色なく育ちます。生後3ヶ月頃から乳幼児クラスに通い、10ヶ月くらいになると手話での理解が見られ、1歳の頃には手話での表出が見られるようになります。

 

聞こえない・聞こえにくいお子さんだけでなく、発達に遅れがあり、なかなか音声言語が出ないお子さんに手話を入れたところ、やはり最初に手話が出て、そのあと音声言語が出るようになりました。その子の最初に出た手話と音声言語は「うどん」

 

それから、手話を使うけれども、手話を使うのは最初だけで、音声が出るようになったら手話を外していく、という教育を勧めている機関もあるようですが、手話は言語ですから外しません。私たちは日本人で日本語で育って、途中で日本語ができるようになったからって外さないでしょう?

 

だから、最初のようなことば「手話を使うと音声言語が出にくくなるから、手話は使わないほうがいい」なんて安易に専門家と言われる人たちに言って欲しくない!手話は聞こえない・聞こえにくい子どもにとって、外せない言語なのですから。そして、たくさんの子ども達の様子を見ていると、聴力レベルや育っている環境、発達など、さまざまなことが関係しているけれど、一概に手話が音声言語の妨げになっているとは言えない。むしろ、音声言語だけしか与えられない、聞こえない・聞こえにくい子の方が心配です。

 

下の写真は、モロッコ風クスクス。夏になると食べたくなる料理。

 

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伝えること と 伝わること

先日、発達センターでのお仕事で、「伝える」ことは「伝わる」ことではない、ということを改めて感じました。こういうことはずっと思ってきたことなのですが、発達センターの子ども達に限らず、相手に伝わるように伝えることって難しいですね。

子ども達は発達にさまざまな特徴があるので、クラスの一斉指示というのはなかなか入りにくいです。見続けることも難しい子ども達もいるので、こちらが工夫せざる負えない。「伝えた」と思っても、全然伝わっていなかったり。伝わっていなくて、とっても混乱してしまっている子ども達も中にはいます。

 

そんなことを思っていた翌日、聞こえない子を育てているあるお母さんからメールをいただきました。このお母さんとはお子さんが赤ちゃんの時からのお付き合いで、「どうしたらこの子にとって、より良いコミュニケーションがとれるか」を一緒によく相談したり、話し合ったりしてきた思い出があります。その内容が「伝えること と 伝わること」でした。

 

<手話はもちろん大切ですし、早い段階で聴者の親は習得して子どもとのコミュニケーションに使って欲しいのですが、手話単語を覚えて満足してしまわないように気をつけて欲しいのです。・・・大事なのは表情なんです。絵カード作って、手話で表現してるから、ほら大丈夫でしょ?と思ったら大間違い。ちゃんと子どもの言いたいことを汲み取る力が大切で、ということは、親自身も伝わる表現力が大切なのです。絵カードももちろん必要なときもありますが、そこに頼って絵カードと子どもの手しか見てない、そんな状況にならないように>とのこと。

 

以前、やはり聞こえない子を育てているお母さんがこうお話ししてくれました。

「手話ができるだけでは十分なコミュニケーションを取ることはできない。大事なのは子どもといかに共感しあえるか、です。」

 

聞こえる・聞こえない、発達に問題がある・ない、に関わらず、どんな人、どんな子どもとのコミュニケーションにおいても、自分の伝えたいことを一方的に伝えるのではなく、どんな風に伝えたら相手に伝わるのか、相手の立場に立ったコミュニケーションって大事ですね。

 

さて、話は変わり、私の知り合いのイスラエルに住む、ポーランドユダヤ人の作家、イリートから日本語に訳された彼女の本が送られてきました。彼女は11歳のときにホロコーストから運よく逃げられ生き残りましたが、彼女の家族は全員亡くなりました。ホロコーストの生き残りの方の話を集めた短編集。読んでいて胸が張り裂けそうになりました。彼女の強さは一体どこからきているのだろう。彼女にこれからもたくさんの幸福がありますように。

 

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最近、思ったこと!

 3歳になる聞こえないお子さん達の発達検査をとっていて、ふと考えたら、これってすごいことじゃない!と気づきました。

 最近、子どもたちが当たり前のように答えられるから、なんだか当たり前のように思ってしまっていたのですが、以前と比べると、実はすっごい変化が起こっている、ということがわかり、もうなんだかビックリというか、感激しました。

 発達検査はもちろん聞こえるお子さん用に作られたものなのですが、ことばの部分は手話を使ってとっています。その課題の中に「これなあに?」と絵カードを見せて、答えてもらうものがあります。以前は、「これなあに?」と質問すると、ほとんどのお子さんが「これなあに?」とオウム返しだったり、その質問の意味がわからなくて「?」という感じで固まってしまう場合が多かったのですが、ちゃんと答えられる! 名前も指文字を使って答えられる子もいるし、性別もわかる。「これなあに?」は簡単にクリアーして、もっと難しい質問にも答えられるお子さんもいるからビックリ!ことばの力が年齢相応に育っているお子さんが多いのです。

 新生児スクリーニングを受けているお子さんたちがほとんどになり、聞こえないとわかり、どうやって聞こえない我が子に向き合おう、どうやってコミュニケーションをとっていったらいいのかを考え、子どもが0歳のうちに両親でできるだけ手話を習得し、子どもが1歳になる頃には親御さんが上手に手話を使えるようになっていることが多くなりました。手話言語条例などで手話が身近となり、手話が言語だと認められ、それらが親御さんたちの意識に入っているのだと思います。1日でも早く我が子と通じ合うために、ご両親で手話言語を学び、それを使って毎日毎日子どもと丁寧にコミュニケーションをしてきた結果です。

 

今年も、ろう・難聴研究会の大会が7月28日と29日に行われます。

場所は桜上水日本大学文理学部です。

1日目:立川ろう学校幼稚部より報告(庄崎真紀)

    ろう児支援のあり方について(てみみん阿部光佑・ひとつ星池田光太郎・あ〜とん柳匡裕)

2日目:人工内耳について(帝京大学ST斎藤宏)

    情報保障について(坂戸ろうなど)

詳しくは、ろう・難聴研究会のホームページをご覧ください。

 

 

 庭のプラムの初収穫。すっごく甘い!

 

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三つ子の魂百まで

数年前からカウンセリングの勉強をしています。ある先生が開いている勉強会に参加してきました。いろんなケースを例に出し、そのケースの小さい頃からの育った環境などを分析し、どうしてこんなことにつながっていってしまったのかを考えてきたりしました。そして、結論!「3つ子の魂100まで」とは本当のことなのだな、と思っています。0歳から3歳(母子分離ができるまで)の安定した親子の愛着関係の構築は、その後のその人の人間関係を決定づけてしまうと言っても過言ではなく、乳幼児期に安定した親子関係を築けた子どもは、その後の人生でどんな難題が起こったとしても自分で解決できる力と自信を持つのです。

そんな大切な時期に、聞こえない・聞こえにくい子どもとのコミュニケーションには手話が必須です。相手は聞こえないのですから。こちらが寄り添うしか方法はありません。

そんなことを考えていたときに、河崎佳子先生が最近お書きになられた論文に出会いました。私と同じ考えでした。河崎先生は、聴覚障害者の心理的な問題や発達についての研究をされている先生です。その一部です。

 

<乳幼児の発達を関係性の展開という視点から捉えると、0歳から3歳代には、子どもに伝わりやすい自然なコミュニケーション手段を用いて母親を代表とする世話者と子どもが、楽しんで豊かにやり取りすることが大切です。ろう児が3歳までを整った手話環境で育つということは、愛着形成にとって重要な人生最初の数年間を、最大限に伝え合える「ことば」を介したかかわりのなかで過ごすということです。・・・つまり、この時期に親子が手話に出会えるかどうかは早期支援の決め手となるのです。

3歳台を迎えるまでの愛着形成の目標は、自分を大切に思って応援してくれる存在を心の中に保ち、困難を乗り越えていくためのエネルギーをもたらす存在として利用できるようになることです。それは、母親を代表とする主たる世話者との情緒的なかかわり合いを内在化する、つまり心の中に保てるようになることで可能となります。聞こえない子どもたちにこの体験がしっかり根づいたなら、家族を拠り所として、健聴社会に出かけていくことができます。>

 

聞こえる・聞こえない・聞こえにくいに関係なく、記憶に残らないくらい小さい頃の育ちは、その子の人格とその後の人生をつくるのです。その頃にどんな関わりを周りの大人がしてあげるのか。それが大切なのです。

 

ハート&コミュニケーションに来てくれている男の子の絵。この色彩。日本的ではない!どちらかというとヨーロッパ的!ピンクは卵だったかな?絵が上手で絵画展に出品されたりしているみたいです。

 

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