マイノリティーとして生きていくには
以前、私は海外(フランス)で10年近く生活をしていました。日本人が私だけという修道院が経営している学生寮に入っていました。私の他は移民としてフランスに来たベトナム人、戦争のため国を追われた旧ユーゴスラビア人、北欧からの留学生や韓国人なども一緒でした。
私は日本でのマジョリティーの生活からマイノリティーへの生活をすることになりました。このマイノリティーの体験が今の聴覚障害分野での仕事に役に立つことになるとはその時には予想もしていませんでした。
マイノリティーで生きるということは時にとても孤独で辛いものがあります。もちろん差別も受けます。フランス人からすれば、日本人の私は日本人である前に<アジア人>。アジア人よりもヨーロッパ人の方が上、という考え方の人も多いので驚かされたことも度々。言語が違う、文化が違う、習慣が違う。戸惑うことも度々。傷つくことも度々。
異文化の中で暮らして親友と呼べる友達もできました。彼女たちとは国籍やことば、文化を超えて相互尊重という関係が築けたからだと思います。
また私が異文化の中で長いこと暮らせたのは、<日本人である>という確固たるアイデンティティーを持っていたからだと思います。
聞こえない人や聞こえない子のことを考える時、このマイノリティーという考え方がしっくりいきます。マジョリティーの中でマイノリティーとして生きていくにはアイデンティティーの確立が大切になってきます。母語を与えること。そしてその集団を与えること。これらが後々、マジョリティーの中で生きていくための自分の核となります。
もう一つ長い海外生活でわかったこと。それは<人間の心の深いところにあるもの>ってみんな同じなんだなぁ〜、っていうこと。
読んでいただきありがとうございました。