『ことばの相談室』徒然

ことばやコミュニケーションについて心配や気になること、お子さんに聞こえの問題があり子育てに不安がある、発達全般について心配がある・・・などなど、国家資格を有するカウンセリングサロンです

夜と霧

昨日に引き続きの更新です。

今日はことばとは関係のないお話。

フランクルの<夜と霧>を読み返しました。だいぶ前に読んだのですが、先日テレビで<夜と霧>の話を聞き、もう一度読み返してみようと思ったのです。

 

<私たちが人生に意味を問うのではない。人生が私たちに意味を問うているのだ。> 久しぶりにその本を読み、コペルニクス的な考え方に救われました。

 

イスラエルに旅行へ行った時、その国の美しさと豊かさに感激したものです。イエスが生まれたベツレヘム。イエスが十字架を背負って歩いたエルサレムエルサレムキリスト教ユダヤ教イスラム教の聖地です。身体が浮いてしまうという不思議体験ができる死海。ことばでは言い表せないくらい美しいネゲブ砂漠。

中東というと危ないイメージがありますが、そんなことありません。国に入る時の検査や出国の時の検査などは多分世界一厳しく、ショッピング施設や公共施設に入る時にも荷物検査があったり、街には兵隊さんがいたりと一見物々しいのですが、逆に東京の方が何もしていなくて、私は時々「大丈夫かぁ?この平和ぼけ」と思うほどです。

 

イスラエルに行った時、街の中で腕に番号の入墨がされているお年寄りを見かけました。そして知人のポーランドイスラエル人と話したことを思い出します。

彼女は10歳くらいの時、ワルシャワのゲットー(当時ユダヤ人が収容されていた街の一角)から両親に外へと放り出され、彼女のみが生き残ります。その後、修道院などを転々とし、一人でイスラエルに辿り着いたという歴史を持っています。彼女の持っている辛い過去は、私たちの想像を絶していると思います。彼女の賢さ、温かさ、そして魅力。そしてその中にある、時折彼女が見せる触れてはいけない領域の凛とした暗さに彼女の歴史を感じます。

 

さて、その彼女に聞いた話。彼女の友人の話。詳細は忘れてしまったのですが、内容があまりにも衝撃的で概要は覚えています。

彼女の友人も両親のおかげで、収容所へ送られる汽車からどうにか逃げることのできた男性でした。その男性はドイツの森の中のあるドイツ人夫婦にかくまわれ、終戦を迎えました。その夫婦には子供がいませんでした。その夫婦から耳を疑うようなお願いをされます。それは命を救ってもらったお礼として、子供を作って出て行って欲しいと。そして彼は奥さんが妊娠したのを確認し、イスラエルへと出発します。

イスラエルへ渡り、キブツ(共同村)に住み、結婚し子供にも恵まれ幸せに暮らしていたある日。彼の息子がドイツからキブツにボランティアとして来ていた青年とトラクター事故を起こし、二人とも亡くなってしまいました。後に判明した衝撃的な事実がありました。それは、事故で死んだドイツ人の青年とは、あのドイツ人夫婦の子供だったのです。つまり亡くなった二人は二人とも彼の子供だったのです。

 

事実は小説よりも奇なり。そんなことがあるんだ、と彼女の話を聞いて鳥肌がたった思い出があります。彼はその後、自殺してしまったと聞いています。

 

彼女はイスラエルで元気に暮らしています。彼女が元気なうちにもう一度会いたいものです。