何気ない耳学問
先日、仕事場で、隣の机でケース検討をされているお二人の先生の話の内容を、パソコンを打ちながら聞いていました。
「一日に喋ると気が済む最低の量があって、女性は6000語なんですって。男性って何語だと思います?」なんていう雑談がありました。「答えは、2000語。男性と女性って、こんなに違うのですね〜。」な〜んていう会話。私はパソコンを打ちながら、(ヘェ〜、そうんなんだぁ〜)と思っていました。そして、私が関わっている聞こえない子ども達のことを想像していました。
南村先生が以前の講演会で「愛すること、信じること、想像すること」とおっしゃっていました。「聞こえない世界を常に想像しながら、聞こえないお子さんの子育てをしてください」と。私は聞こえない子どもと関わる仕事をしているので、できるだけ、日々の生活の中で、聞こえない世界を想像するようにしています。
聞こえないということは、情報が入りにくいということです。こういう耳学問ができないということ。与えられた情報しか入らないということ。
だから、小さい頃から、情報を自分から取ろうとする子に育てることが大切なのでしょう。三つ子の魂百まで、という諺があるように、小さい頃の関わりがやはり大事になってくるのでしょう。答えをすぐに与えないで、一緒に考える子育て。「どうしてだろう?」と考える子に。そして「なんだろう?」と興味がたくさんある子に。そういう子に育てる。それは聞こえない子どもだけでなく、聞こえる子にとっても大事なこと。でも、聞こえない子は耳学問ができないので、より「知りたがり屋」に育てられるとよいのかも。
そして、これは聞こえる子にとっても大事だけれども、読書好きな子に育てる。国語ができる子は、他の教科もよくできる、と言われるけれど、本当にその通り。読み書きができる子に育てること。書くことは、言語思考活動の中で一番難しい。それができる子どもに育てる。
手話や口話で話ができても、学習できる言語に育っていない。そういうことにならないよう。表面的なことにとらわれず。小さい頃から、日本語に親しめるように。
これから先、大学入試のやり方も変わり、マークシートではなくなり、論じる問題になってくると聞いています。ますます本当の思考の力が問われる時代に入ってきます。その時代を力強く駆け抜けていけるように。
あるお母さんがこうおっしゃっていました。「聞こえなくても大丈夫っていうけれど、それは、ちゃんとやるべきことをやった上での大丈夫なんですよね。」なんて深いことば。そしてその通り。
これはうちのワンコ。ボールが大好きで、盗まれないように、口にくわえたまま寝ています(笑)。
ハート&コミュニケーション