すべては想像することから
ろう学校の乳幼児教育相談と発達センターでのお仕事をずっとしています。聴覚障害と発達障害のお仕事で、分野は違うのですが、仕事の核になる考え方は同じだな、とつくづく思います。
大きな類似点は、親御さんにお子さんの特徴をお伝えし、その子のことをできるだけ理解していただくように支援をする、ということです。
今朝、テレビを見ていたら、新国立競技場をデザインした隈研吾さんがこうおっしゃっていました。<自分中心で考えない。木に寄り添わないと、良い木造建築はできない>
宮大工の西岡常一さんも「木のいのち 木のこころ」で同じようなことをおっしゃっていました。私がさせていただいているお仕事は、まさにこの考え方に通じるものがあります。
聴覚障害分野で言えば、お子さんの聞こえない・聞こえにくい世界を理解していただくように親御さんに伝えていく。聴覚障害とはどんな障害なのか。どんな風にコミュニケーションをとっていけば良いのか。子どもはどんな状況で日々を過ごしているのか。そしてどんな大人になっていくのか、などを親御さんに伝えていく。そして親御さんがお子さんに寄り添えるように。立ち位置が<聞こえる自分>ではなく、<聞こえない・聞こえにくい子ども>に合わせられるように。
発達障害分野では、子どもたちはどんな世界に日々暮らしているのか。お子さんの一見すると困った行動が、何からきているのか。どのようにすればコミュニケーションをより良くとれるのか。お子さんの発達の状態や特徴。どんな風に成長し、どんな風に支援をしていく必要があるのか。親御さんがお子さんに寄り添えるように。
私は子どもたちの代弁者として親御さんに伝える。親御さんの様子やキャパシティー、そして親御さんと私との関係性も考慮して、今、お子さんに関することで伝えておいた方が良いことは、たとえそれが厳しい内容であったとしても伝えていく。それがきっとこの子のためになるから。
そんな気持ちで日々お仕事をさせていただいています。
たぶん、すべては想像することから。
愛すること、信じること、想像すること。
子どものことを愛すること。子どもの成長を信じること。そして子どもの生きている世界を想像すること。
庭の大石プラムに今年も実がつきました。すっごい甘い!木が大きくなりすぎて、高いところの実は取れなくなってしまいました。
ハート&コミュニケーション
南村洋子先生の本
南村洋子先生の2冊目の本ができあがりました。
「子どもとママと担当者と3年5ヶ月の軌跡」という本です。この本は、保護者が書いた生活の記録に南村先生がコメントを書く、という形の実践事例集となっています。
何歳何ヶ月頃にはどんな関わりをして、子どもとはどんなコミュニケーションをとり、どんな遊びをしているのか。聞こえない・聞こえにくい子の子育てだけでなく、聞こえる子の子育てにも参考になる本だと思います。
では、本の一部を抜粋・・・
2歳5ヶ月の頃のとも君
<(母親の記録)よる、家族で団欒中にともが「お父さんとお母さんとお兄ちゃんとともと動物園に行った。ともは馬に乗った。お兄ちゃんは黄色いヘルメットをかぶって、馬に乗った。ともはピンクのヘルメットをかぶって、馬に乗った。ともは高くなった」と話した。お父さんが「動物園で一番楽しかったことは何?」ときくと、ともは「にんじん、ヤギにどうぞして、ヤギ食べた」と答えていた。お父さんが「ヤギはこうやってベロ出して食べたね」とヤギの真似をすると、ともは大喜びで同じように真似をした。お父さんは、ともが今日あったことを思い出して、自分から話し出したことに感動し、コミュニケーションが取れることに驚いていた。>
<コメント:過去の経験を語れるようになったとも君。そのようすに驚き、喜びを隠せないお父さん。そうです。とも君は耳が聴こえないだけです。コミュニケーション手段が、聴こえる人とちがうだけでした。コミュニケーション手段を幼い聴こえない子どもに合わせるだけで、家族団欒のときに、対等にお話ができるのです。楽しい団欒が家族みんなのものになっています。>
2歳5ヶ月の頃のあるお子さんの様子です。この2歳5ヶ月になるまでに、家族が手話(と音声を使って)で丁寧にコミュニケーションを取ってきた積み重ねがあることを忘れてはいけません。<ただ単に手話を使えばいいのか?>ということではありません。手話を共通言語にして、子どもの視線の先にあるものを一緒に見て、子どもが今何を見ているのかを考え、何を考えているのかを想像し、子どもと視線を合わせ、子どもの心に寄り添い、共感しながらのコミュニケーションを毎日とってきた結果なのです。
こうなるまでにどんな関わりが必要なのか?この本を読まれると、たくさんのヒントが見つかると思います。
ご購入希望の方は、
ろう・難聴教育研究会事務局(前田芳弘)
tcymaeda@hotmail.com
Fax:03-3884-9582
(1冊1000円)
ハート&コミュニケーション
Kotoba-heart.com
ろう難聴教育研究会 第41回夏の大会
ろう難聴教育研究会 第41回夏の大会
ろう難聴教育研究会の夏の大会のプログラムが決まりました。
みなさん、ぜひご参加ください。
今年は大会での初めての試みとして、「ヴァンサンへの手紙」の映画上映を行います。その後、この映画を日本に紹介してくださった牧原依里さんとの対談を考えています。
2019年8月24日(土)・8月25日(日)
問い合わせ先:Fax 03-3884-9582 info@edh.main.jp前田芳弘
Tel 03-3579-8355 森崎恵子
参加費:会員一般 2日間 5000円 1日のみ参加 3000円
会員学生・親 2000円 1000円
非会員一般 7000円 4000円
非会員学生・親 4000円 2000円
<プログラム>
8月24日
10:00~12:00出版記念講演 南村洋子
13:00~15:00 映画上映「ヴァンサンへの手紙」
15:00~16:30 牧原依里さんとの対談
8月25日
9:00~10:20 出版記念講演 矢沢国光
10:30~12:00ろう学校の教育実践報告「自ら遊び、自ら学ぶ<ろう保育>を掲げて」
戸田康之(大宮ろう学園)
13:00~16:50 「聴覚障害教育は人工内耳とどう向き合っていけば良いのか」
医療の立場からの情報提供・問題提起 斎藤宏(帝京大学病院 言語聴覚士)
幼児期からの人工内耳装用者の思い(登壇者打診中)
聞こえない子を育てているお母さんの10箇条
みなさん、どのようなゴールデンウィークをお過ごしですか?
私はある人と再会し、食事をしました。その人は型破りで破天荒。だから、話していると違う視点が入ってきて、なんだかエネルギーが湧いてくる。不思議な人。
今日は子どもの日ですね。新聞のコラムにこんな記事が出ていました。
<少子高齢化の加速により、家族の形は当時よりもさらに変化している。・・・電車内ではスマホに見入る幼い子供をよく見かける。幼児向けの動画があるらしい。自立にも見え、孤独にも見える。子供の居場所を思うとなんとも複雑である。スマホの幼児は、手持ちぶさたに中吊り広告を見る母親と、居眠りする父親に挟まれていた。これも現代版の家族の形かと、こどもの日にふと思う>
そんな記事を読み終えたあと、私が担当している、聞こえない・聞こえにくい子どもを育てているお母さん方、ひとりひとりを想いました。
みなさんひとりひとり真剣に子どもと向き合おうとしている姿に、本当のあるべき家族の姿の象徴が見えるようでした。
この3月、4月から1歳児クラスに入るお子さんのお母さん方に、1年間の想いを語っていただきました。あるお母さんの発表原稿がとても素晴らしかったので、それをこのブログを読まれている皆さんにもお伝えいたします。もしかしたら、このブログを読んでくださっているかも。
聞こえない・聞こえにくい子どもを育てる、育てないに関係なく、子育ての基本が書かれていると思われます。そのお母さんが大切にしているコミュニケーションの10箇条です。
<コミュニケーションで大切にしている10箇条>
- タイミングを考える
- 気づきをつくる
- 目線を確認する
- 目を合わせる
- 視界に入ってから話す
- ゆっくり話す
- 確認する、選ばせる
- 表情豊かに話す
- CL表現を豊かに話す(かわいいね で終わりではなく、どうかわいいのかを形のまま、見たままを伝える)
- 話が終わるまで目をそらさない
手間のかかる方法です。ストレスです。
きこえる子だったら、どんな感じだろうか、と想像することがたまにあります。でも、その方が楽だろうな、と思うことはほぼありません。きこえる・きこえないに関係なく、子育てはストレスフルなのだから。
以上がその発表原稿からの抜粋です。
さっきの型破りで破天荒な人から、どんな状況にあっても「いつもサイコー!」と思って生きるようにと。こういうおもしろい人が私の近くにいてくれる、というのは、ある意味でサイコー!
バラの花が咲き始めました。ロイヤルサンセット。
ことばの相談室ハート&コミュニケーション
(ホームページを新しく変更お願い中です。ユッキーさん、お願いします!)
声めぐり
難聴児支援教材研究会の会長である木島先生から、「齋藤陽道さんが書いた<声めぐり>という本をぜひ読んでみて!」と連絡がありました。すぐに注文し、届くのを待っているところです。
木島先生がブログで紹介しているので、皆さん紹介文を読んでみてください。それから、齋藤さんの元担任だった元石神井ろう学校の天沼陽子先生の本も伴わせて読むと良いようです。
http://nanchosien.com/10/07-4/1998.html
「口話でいける聴力だから、手話は使わない方が良い」と病院の方で言われ、子どもに手話を使わなくしてしまう親御さんがいらっしゃいます。いわゆる専門家と言われる人から言われるのですから、何も知らない親御さんにとっては大変心配になる助言だと思われます。(たぶん、病院の方は、手話には「種類」がある、ということがわかっていないのかも)
私が関わっているろう学校では、0歳の時から手話(日本語対応手話)と音声で子どもとのコミュニケーションをとっていきます。三つ子の魂百まで、と言われますが、記憶に残らないような小さい頃の親子の愛着関係はとても大切で、子どものそれから先の人生を決定づけていきます。子どもに聴覚障害がある場合、健聴児と同じ音声言語のみでのやり取りでは、愛着の発達が健全に進んでいかない恐れがあります。子どもに聴覚障害がある場合、子どもにとってわかりやすい、子どもにとっても伝えやすい手話を使うことが、自然なことなのではないかと私は思うのです。
小さい頃から、手話と音声で育ってきた子どもたちは、コミュニケーションモードを自由に操れる子どもに育っていきます。聞こえない子どもたちの間では日本手話的な手話を使うし(学校の中にデフファミリーのお子さんがいるので、集団に入れば自然に身につけるのだと思います)、手話が下手だったり、手話ができなかったりする音声言語が必要な聴者と話すときには、口話ができるお子さんは音声も使って話しかけてきてくれます。デフファミリーで家庭では日本手話、学校では日本語対応手話と音声を使っている子もいます。そんな風に子どもたちは、相手のコミュニケーションの様子をとらえ、コミュニケーションモードを臨機応変に変えている様子が見られます。
私は、コミュニケーションモードはひとつでも多い方が良いと思っています。日本語だけでなく、英語、フランス語ができた方が便利であるのと同じです。なので「手話は使わない方が良い」というアドバイスはとてもナンセンスだと思うのです。
今、聴力が良かったとしても、聴力は下がる恐れがあります。手話を学ぶことで何も損をすることはないと思います。
先日、ある耳鼻科のお医者さんが「手話を使うと、音声に支障がある、という論文は、どこを探してもないんですよね」とおっしゃっていました。
だから、齋藤さんのように、苦しい想いを抱えてしまう子どもたちを増やさないように、専門家の方々、どうぞ根拠のないことを、親御さんに言わないでいただきたい、と思います。
ハート&コミュニケーション
療育の力
1ヶ月ぶりのブログ更新。なんやかんやといろいろとあり、滞ってしまいました。
さて、今回は、発達センターに毎日通っている男の子の成長を目の当たりにして思ったことをつづります。
とても不安が強いお子さんで、音にも敏感で、教室の中に一歩も入って来れませんでした。もし無理やり入れようものなら、パニックを起こしてしまいます。知っている人もいないし、家族もいない。子どもの集団は何をするかわからないし、泣く子もいるし、わめく子もいるし、走り回る子もいるし、きっとその子にとっては恐怖の場所だったのだと思います。
無理やり教室へ入れてもダメだ、と判断し、少しずつ、スモールステップで集団に入れるようにしていきました。まず、ひとりの保育担当の先生が、彼にマンツーマンでつく。その先生は必ず同じ先生。その子とその先生はいつも一緒。最初はお互いぎこちなく、なんとなく距離がある感じ。その子が廊下をふらふら歩くその後を、先生はひたすらついて回ったり、その子が廊下にある椅子に座ったら、隣に座る。秋の間はずっとそんな感じでした。
寒くなり始めた頃、だんだんと教室の近くの廊下にいられるようになり、廊下の隅のコーナーで遊べるようになりました。その頃から、彼の先生への対応に変化が見られるようになりました。徐々にその先生に心を開いている様子が伝わってくるのです。先生も彼のことが理解できるようになってきているので、その微妙だった距離が、心地よい距離に変化してきているのが見ていてわかりました。先生に抱っこをせがんだり、甘えている様子も見られるようになりました。先生のことを信頼し、この先生となら大丈夫かな、と彼が思っているようでした。
年が明け、教室の扉を開けたままにして、廊下で遊べるようになりました。だんだんと教室の中の様子が気になり始めてきたのです。信頼しているその先生が、教室に出入りするのも見ているし、教室の中に誰もいない時は入ることもできていました。ある日、これは偶然だったのですが、彼がちょこっとひとりで教室の中に入ったのですね。先生は廊下でした。その時、私が知らずにその扉を閉めてしまったのです。(あ!この子だ!)と思った時には、非常にびっくりした表情で、廊下にいる先生を求めている彼がいました。すぐにドアを開けてあげて、先生の元へ。先生に抱っこされ、一安心。でも、これが良かったようで、そこからこの子に変化が起こりました。
教室の扉の近くで、開けたまま、いつでも廊下に避難できるようにして、その先生と一緒に少しだけ教室にいられるようになったのです。そして、今では、扉を閉めたままで、他の先生とも、一緒にいられるようになり、ずっと教室で過ごすことができるようになりました。
教室へ入ることができるまでに数ヶ月かかりました。
でも、これこそが「療育の力」だと思います。
そして、どの子どもにも「人と自分を信じる力」が大切です。
ハート&コミュニケーション
すごーくアンティークな私のお雛様。今年も飾りました!