ろう難聴教育研究会 1月合宿研究会について
とっても良いお天気ですね!
ろう難聴研究会で恒例の合宿研究会を1月27日・28日に開きます。
会場は さわやかちば県民プラザ・小研修室1
2018年1月27日(土)13時半〜17時
「人工内耳の現状について」斉藤宏先生(帝京大学病院 言語聴覚士)
28日(日)9時半〜12時半
「下校後の豊かな手話環境の確保を目指すデイサービスの取り組み」
阿部光佑先生 (新潟県立ろう学校教員)
13時半〜14時50分
「私のコミュニケーション体験を振り返って」
井上正之先生 (筑波技術大学准教授)
皆さま、是非ご参加ください。
問い合わせ先は kimiko_fujita@jcom.zaq.ne.jp
リンゴとお手紙
数年前からみている男の子。今は立派な小学生。特別支援学級に通っています。先日、彼が書いたお手紙とともに、とっても美味しいリンゴが届きました。雪国のおばあちゃんちから届いたというリンゴのお裾分け。採りたてのリンゴは蜜がたくさん入っていて驚くほど美味しいものでした。彼が書いた手紙の文字は、とってもしっかりとした筆圧で書けていてこれまた大感激!私の宝物になりました!有難うございます。
小さい頃はなかなかコミュニケーションが成立しにくかったり、ちょっと難しい課題だと自信がなくなってしまってやる気がなくなってしまったり… 今では学ぶことが大好きな、素直で優しい男の子に育っています。
とっても印象深いエピソードの一つに、年中さんの時だったかな?ドアの前でドアに向かってしゃべっている、ということがよくありました。ドアに向かって「開けて」。開かないとドアの前で怒っている。ドアの前だけでなく、歯を磨く場面でも歯ブラシを取ってもらいたくて鏡に向かっておしゃべりをしていたりしていました。
彼だけではなく、結構こういう子っているんですよね。おしゃべりはできるのだけれど、ことばでのコミュニケーションとは受け取る相手がいて成立するものであり、その発信されたことばを相手に分かるように聞かせる必要がある、ということの理解が難しいということです。そのことばを言うだけで事が足りると理解してしまっている、ということ。なので<伝える>という練習をスモールステップでしていく必要があります。
今ではコミュニケーションがスムーズになり、楽しいお話が一緒にたくさんできるようになりました。彼のニコニコしている笑顔を見るのが私は大好き。
どんな男の子になっていくのでしょう?とっても楽しみ!
〇〇くん、リンゴとおてがみ、ありがとう。
挨拶しなくちゃ!
道を歩いている時に誰にでも挨拶しちゃう男の子とお母さんが私の前を歩いていました。誰にでも挨拶をしています。道端に自動車が停まっていて、中に数名の人がいたのですが、その自動車にわざわざ近づいて行ってご丁寧に挨拶。「おはようございます!」
一見するとおしゃべりもしているし、発達に偏りがあるとは思えない様子なのですが、でも、やっぱり違和感。
その子は<人には挨拶をする>と覚えたのでしょうね。
私たちが誰に教わったのでもない暗黙のルールや暗黙の了解がなかなか理解できないことにその子の大変さがあります。そして人と人との距離の取り方にも。いつ挨拶をするべきか、どういう人に挨拶をするべきか、知っている人とそうではない人を区別すること、そういうことへの理解に未熟さがあります。
以前、誰にでもハグをしちゃう、という子がいました。電車に乗っている時にも知らない人に近づいて行ってしまう。「可愛いね!」と言われるうちは良いのですが、そうではなくなった時にはちょっと困ってしまいます。お母さんも心配していたのを思い出します。
もし誰にでも挨拶をしてしまう、とかハグをしてしまう、そういうことがあったら、地道にお子さんに繰り返し伝えていくことが大切になってきます。親が話しかけない時には話しかけないこと。ハグをされたらしてもいいが、されない時にはしてはいけないこと。手を出されたら握手をしてもいいけれども、そうではない時には握手をしないこと。それを繰り返し伝えていく。
さて、その冒頭の男の子。私とすれ違う時に挨拶をしに来てくれました。私も挨拶を返します。お母さんはちょっと苦笑い。私は心の中で(分かっていますよぉ〜)という気持ちとともにお母さんに微笑み返しました。
おやつが欲しくてキリッとしているうちのワンコ。
聞こえない文化
先日、多方面で活躍されている聞こえない方の講演を聞く機会がありました。その方は人を惹きつける話術と豊富な話題と知識の持ち主です。
私が初めてその方のお話を聞いたのはもうずいぶん昔のこと。<理想的な子育てのチャンス>というブログで書いた先生がおやりになっていた教室で、聞こえない子供を育てている親御さんに向けた勉強会に参加させてもらった時のことでした。その時のお話の内容は<聞こえない文化と聞こえる文化の違い>。その内容は私にとってとても興味深く、かつ納得できるものでした。
聞こえる世界ではクラスの友達を一斉に振り向かせたい時に声を使うけれども、聞こえない世界では電気を点けたり消したりする。聞こえない人を呼ぶときにはポンポンと肩を軽くたたく。聞こえる世界では大きな音が出ないようにドアの閉め方に気を配るということを、聞こえる家族から教えてもらった、などなど。初めて聞いた聞こえない人の講演。音声での通訳がついた手話での講演。言語聴覚士の勉強では習わなかった、聞こえない人の話・聞こえない世界・聞こえない文化。
その講演でとても印象に残っているのは、聞こえる女の子に書いたラブレターの返事。<友達でいましょうね。>その曖昧な返事の意味がよく分からずにいたら、聞こえる家族がその説明をしてくれた、というお話。<聞こえる文化で 友達でいましょうね は、振られた、ということなんだよ。> 聞こえない文化ではそんな曖昧な言い方はしないそう。そんな話を聞いて、フランス文化に近い聞こえない文化に、とっても親近感を持った覚えがあります。
フランス文化でも曖昧な表現は通じませんでした。例えばフランス人の友達に遊びに誘われて、「多分」と答えると、「Kumikoは日本人だからはっきり言わないのかもしれないけれど、多分、という言葉はフランスではOuiだからね。気をつけなさいよ。」
かといって、なんでもズケズケとダイレクトに言っていいかというと、ちゃんと一線がある。当たり前ですけれどね。やっぱり人間同士ですから。コミュニケーションは気持ちよく。
異文化に触れることで広がる自分の世界観そして価値観。人生が豊かになります。
うちのニャンコ。なんか王様みたいな感じ。素敵に写りました。
色々なこだわり
自閉的傾向があるお子さん。その子は見え方にこだわりがありました。
その子は階段の踊り場の前にあるちょっと奥まった部屋のドアを斜めから見ることが大好きでした。そのドアを色んな角度から、行ったり来たりしながら横目で見るのです。何度も何度も。そしてしばらく観察してから電気をつけてもらうのがまた大好きでした。私も同じように見てみましたが、何が良いのか分かりませんでした(笑)。分からなくて残念。一度見だすと15分、20分、ずっとそんな状態で見ています。これには困ってしまいます。でも、その子の中でちゃんとクラスの先生の序列ができていて、一番信頼している先生の言うことだったら聞くのです。でも新人の先生の言うことは聞きません(苦笑)。だからその先生が来て、その子に「おしまいね」と伝えて一件落着。よく分かっていますねぇ。
ある時から、その一番信頼している先生の名前を言うだけで直ぐにやめることができるようになりました。「〇〇先生が終わりって」とか、「〇〇先生に(見てもいいか)聞いて」とか。その子の中で〇〇先生がそこにいなくても、〇〇先生から直接言われなくても、〇〇先生という言葉だけでたくさんのことをイメージができるようになって、自分の中で折り合いをつけることができるようになったのです。すごいすごい!これこそ言葉の力。
その子は家庭で他にもちょっとしたこだわりがあり、お母さんが困っていることがありました。その子はゴミ捨て場のドアを開けるのが好きで、それを何度も何度もしたがるとのこと。ゴミ捨て場のドアを開けた時の見え方にこだわりがあったのだと思います。私も相談を受け、一緒にどうすればいいのかを考えました。ことばは発するそばから消えてしまう。視覚的な補助が必要。何回までならやっていいか。今日はやってもいいのか、いけないのか。
ということで相談した結果お母さんは写真カードを作りました。カードは他のことでも使えるようにマジックテープで取り外し可能。回数はその写真カードの下にこれまた取り外し可能な赤い丸。赤い丸が全部なくなったらおしまい。
かなりスムーズになったと報告を受けました。良かった、良かった。
下の写真はうちのボクサー犬。寒さが苦手で寒くなると暖房の前でこんな風にいつも寝ています。鼻ぺちゃなのでいびきがすごい!
夜と霧
昨日に引き続きの更新です。
今日はことばとは関係のないお話。
フランクルの<夜と霧>を読み返しました。だいぶ前に読んだのですが、先日テレビで<夜と霧>の話を聞き、もう一度読み返してみようと思ったのです。
<私たちが人生に意味を問うのではない。人生が私たちに意味を問うているのだ。> 久しぶりにその本を読み、コペルニクス的な考え方に救われました。
イスラエルに旅行へ行った時、その国の美しさと豊かさに感激したものです。イエスが生まれたベツレヘム。イエスが十字架を背負って歩いたエルサレム。エルサレムはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地です。身体が浮いてしまうという不思議体験ができる死海。ことばでは言い表せないくらい美しいネゲブ砂漠。
中東というと危ないイメージがありますが、そんなことありません。国に入る時の検査や出国の時の検査などは多分世界一厳しく、ショッピング施設や公共施設に入る時にも荷物検査があったり、街には兵隊さんがいたりと一見物々しいのですが、逆に東京の方が何もしていなくて、私は時々「大丈夫かぁ?この平和ぼけ」と思うほどです。
イスラエルに行った時、街の中で腕に番号の入墨がされているお年寄りを見かけました。そして知人のポーランド系イスラエル人と話したことを思い出します。
彼女は10歳くらいの時、ワルシャワのゲットー(当時ユダヤ人が収容されていた街の一角)から両親に外へと放り出され、彼女のみが生き残ります。その後、修道院などを転々とし、一人でイスラエルに辿り着いたという歴史を持っています。彼女の持っている辛い過去は、私たちの想像を絶していると思います。彼女の賢さ、温かさ、そして魅力。そしてその中にある、時折彼女が見せる触れてはいけない領域の凛とした暗さに彼女の歴史を感じます。
さて、その彼女に聞いた話。彼女の友人の話。詳細は忘れてしまったのですが、内容があまりにも衝撃的で概要は覚えています。
彼女の友人も両親のおかげで、収容所へ送られる汽車からどうにか逃げることのできた男性でした。その男性はドイツの森の中のあるドイツ人夫婦にかくまわれ、終戦を迎えました。その夫婦には子供がいませんでした。その夫婦から耳を疑うようなお願いをされます。それは命を救ってもらったお礼として、子供を作って出て行って欲しいと。そして彼は奥さんが妊娠したのを確認し、イスラエルへと出発します。
イスラエルへ渡り、キブツ(共同村)に住み、結婚し子供にも恵まれ幸せに暮らしていたある日。彼の息子がドイツからキブツにボランティアとして来ていた青年とトラクター事故を起こし、二人とも亡くなってしまいました。後に判明した衝撃的な事実がありました。それは、事故で死んだドイツ人の青年とは、あのドイツ人夫婦の子供だったのです。つまり亡くなった二人は二人とも彼の子供だったのです。
事実は小説よりも奇なり。そんなことがあるんだ、と彼女の話を聞いて鳥肌がたった思い出があります。彼はその後、自殺してしまったと聞いています。
彼女はイスラエルで元気に暮らしています。彼女が元気なうちにもう一度会いたいものです。
熱心なパパたち
先日、聞こえない・聞こえにくいお子さん(0歳児)を育てているパパ達が集まりました。皆さん、近年稀に見るすっごく熱心なパパ達で、お子さんが通い始めてから半年ちょっとしか経っていないのに、デフの方達とどうにか手話での会話ができている!すごい!すごい!
別の日、パパ達を集めて開いた勉強会での質問コーナーでは、手話通訳を介さずに自ら手話を使って質問をしているパパ達がたくさんいました!すごい!すごい!数年前にはありえなかったこと!
手話はことばなので、えいやっ!と覚えようとしない限り覚えられません。お子さんが1歳になるまでにできるだけ習得しておく。手話を覚えておかないと、聞こえない・聞こえにくいお子さんとのコミュニケーションが成立しなくなります。
1歳までは聞こえる子もアーでもなければウーでもない。話しかけてもことばでの返答はないし。聞こえない・聞こえにくい子も同じ。でも違うのは、こちらがことばでのコミュニケーションが成立する前に、彼らのことばである手話を覚えておくということ。
ことばを覚えるって、ベースにあるのはやっぱり愛情なのです。例えば、フランス語しか話さない人を好きになってしまったら・・・フランス語を勉強したくなりますよね?
それにコミュニケーションモードは一つでも多い方が便利だし豊かな人生を送れます。それは聞こえる・聞こえないに関係のないこと。
そのパパ達。休日に手話を習ったり、勉強会をしたりするためのパパの会を立ち上げました。そのうちこのブログでも紹介いたします。
頼もしいパパ達。みんなの宝です!ありがとうございます!
うちには2階に猫、1階に犬がいます。猫は犬が大嫌い。犬がバリケンに入ったかな、と2階から様子を伺っている猫。
料理のレシピをこれからも載せて欲しい!との声が寄せられました。これからも時々載せますね。