『ことばの相談室』徒然

ことばやコミュニケーションについて心配や気になること、お子さんに聞こえの問題があり子育てに不安がある、発達全般について心配がある・・・などなど、国家資格を有するカウンセリングサロンです

子ども達の名言

 子どもってすごいな!と思った瞬間。皆さんと分かち合いたくて、書きます。

 

 発達に偏りのある年長さんの男の子。月に1回、私とのセラピーのために来室してくれます。初めて会った年中さんの頃は、ちょっとでも難しかったり、やったことがなかったりする課題を見ると、もうドキドキ緊張してしまい、不安になり、落ち着きがなくなり、その気持ちを言語化することができないので、床に寝転んだり、机の下に隠れてしまったりしていました。どうしてそんなことをしているのかが分からない人が見ると、ただの怠け者のダラけた子ども。でも、本当は違う。とっても繊細な子。1年経ち、成長し、初めてやる課題にも挑戦することができるようになりました。

 先日、その日に一緒にやりたい課題を机の上に並べ、彼に見せ、どの順番でやりたいかを決めてもらいました。1番から順番に決め、順番を決め終わったとき、

 「ぼくね。好きなのはあとにするんだよ。」

と言いました! もう、チョ〜感動!そんな表現ができるようになったんだ〜!

 「先生もね。〇〇くんと同じ。好きなのはあとなんだ〜。でも、先生の家の犬は、好きなのは最初なんだよ。」

そのやりとりを傍らで聞いていたお母さん。大笑いしていました。私も大笑い。

 

 聞こえない2歳児の男の子。大好きな女の子に家から持って来たお菓子をあげました。女の子は聞こえにくい子。音声と手話で「ありがとう」と男の子に伝えると、その子は手話で

 「ありがとう は いらないよ。」

と言ったのです! もう、なんだか格好いいじゃない!こんな会話が2歳児でできるの〜?!え〜!すごくない!!!

 

 最近感動した、子ども達の名言でした。

 子どもってすごい!

 

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好きなのは最初のうちの犬。

 

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軽中等度難聴

 先日、ろう学校の地域支援の一環として、幼稚園や保育園の先生や保健師さんを対象に「難聴児への支援」というテーマで講演会を行いました。50名近くの方にお越しいただきました。ありがとうございました。

 保育園訪問や幼稚園訪問へうかがうと、先生方から次のような質問を受けます。

 ・補聴器をつけているから聞こえるのですよね?

 ・同じように行動できるから大丈夫なのですよね?

 ・聞こえる子の集団に入れておけば、自然に日本語を獲得できるのですよね?

 ・小さい音にも反応しているので、聞こえているのですよね?

以上のような質問をよく受けます。でも、全部、違います。

 

 ある男性がろう学校の保護者講座でご自分の今までの体験を話してくれました。裸耳で65dB。補聴器で30dB。今は裸耳で80~90dB程度に聴力が低下してしまったとのことでした。裸耳で65dB、補聴器で30dB聞こえると言っても、それは防音室の中での話です。防音室のような世界はこの世の中にありません。この世の中は騒音と雑音にあふれています。補聴器をしても歪みのある音の問題は解消されず、補聴器は雑音を拾ってしまいます。聞こえる私たちのように、騒音の中でも聞きたい音や話だけを聞く力<選択的聴取能力>はありません。

 彼の人生は苦悩に満ち溢れていました。彼は音声言語と手話を用いながら話をしてくれました。聞きながらジーンとするくらいの孤独と怒りが伝わってきました。綺麗にお喋りができるけれども聞こえない。綺麗にお喋りができることで隠されてしまう聞こえにくさ。綺麗にお喋りができることで周囲にもその聞こえづらさを理解してもらえず、そして本人も自分の聞こえしか体験したことがないので、自分が聞こえづらいということが理解できない。聞こえる私たちのように何となく聞いていても相手の話が分かるのではなく、相手の話は全身全霊を傾けて聞かなくてはならない。そして全身全霊を傾けて聞いたとしても全ての情報は分からない。10の情報があったとしてもそのうちの3の情報しか届かなかったらそれが全てとなり、その他の7の情報は無かったと同じになる。怖いことにそこにその7の情報があったことすら分からない。つまり分からないということが分からない。

 一番理解してもらいたいはずの家族にも聞こえ難いことを理解してもらえず、家族の中でコミュニケーションの齟齬が起きる。家族も多分伝えてはいるのだろうけれど、届かない大切な家族間の情報。家族の中で孤立が深まる。聞いていないあなたが悪い、と言われてしまう。そして自分がもっと頑張って聞けば聞こえるかも、頑張らなかった自分が悪いんだ、と自分を責め続ける。そんなコミュニケーションが子供の時から毎日毎日繰り返され、それが何十年も続いてしまう恐ろしさ。

進学校に進学し、有名企業にも就職できた彼は会社でもコミュニケーションに苦しめられ、その後も職を転々とし、長い間引きこもりのような生活をしていると話していました。

 彼は綺麗にお喋りができることに頼ってはいけない、それは最後の砦として残しておきなさい、と最後に訴えていました。綺麗にお喋りができる難聴者が最終的に大人になってから声を切ってしまう方が多いです。それは綺麗にお喋りができることが難聴という障害を隠してしまい、苦労することが多いからでしょう。ただ、彼はまだ声を切ることに葛藤しているようでした。

 以前、人工内耳をしている綺麗にお喋りができる大学生の女性がこんなことを話していました。「私は聞こえる友達と数名で話している時、その会話についていくことができないことが多いです。誰が喋り始めたのかも分からないし、話の内容も途中から全く分からなくなります。そうすると自分の世界に入り込み、みんなが笑うと私も焦って笑います。しばらくそんな状態が続くとこちらも嫌になってくるので、自分から <ところでさ>という言葉を用いて自分から話題を提供します。そうするとその話題になるので、またほんの少しの間だけは皆の会話についていけます。そういう工夫を小さい頃からしています。」

 以前、自身も聴覚障害者である森せい子先生(心理士・精神保健福祉士)が講演会でこんなお話をしてくれました。 

<聞こえない・聞こえ難い障害は音声言語で100%の受信が難しい障害であり、人工内耳にしても100%聞こえる人にはならず、難聴者にするための手術だと言える。音声言語のみで育った聴覚障害児は常に中途半端であり、はっきりしない状況の中で育ち、曖昧な情報の中で自分を主張できず、聞こえない故に理解できないことが無知だと誤解され、人と関わりを持ち難い、一方的な会話になりやすい。聴覚障害者が完全に受け取れる言語「手話と書記日本語」を必ず与えてあげて欲しい。そうではないと生きづらさを抱えた人間になってしまう。手話を使わない聞こえ難い難聴者は聞くこと・聞き取ることに全身全霊を傾けなければならず、聞き取れない時は自責の念や自信喪失、自己肯定感が低下してしまう。聞き返して聞き取れることがあると、もっと頑張れば聞き取れるかも知れないと期待してしまう自分がいる。聞き返しても分からず、口形を見ても読めず、分かったふりや適当にごまかす、周囲の笑いに合わせて笑い、偽りの行為を重ねていくことになる。>

 軽中等度難聴の子は発音が綺麗で、上手に他の子の様子を見て同じように行動ができてしまうので、一見うまくいっているように見えるかも知れませんが、大きくなっても劣等感を持ったまま生きている人が多く、問題があることも見えにくいとも言われています。

 また、音声言語で綺麗におしゃべりができることと言語能力はイコールではありません。その場に合わせたことばの使い方が分からない人が多く、自分から話すことはできるが聞くことができないため、コミュニケーションが一方的であると言われています。コミュニケーション不全から社会的孤立感を抱えている人が多く、グループに入りきれない。それを親だけでなく誰も気づけない。毎日毎日長年繰り返されるコミュニケーション不全から自己肯定感が低くなり、自信につながらない。自分の感情を言語化して伝えたり、人の感情を想像してコミュニケーションをとることが苦手で、変な人、と言われてしまう人が多い。大きくなればなる程、発達障害者が抱える問題に似通ってくるとも言われています。

 そういうことが起こらないようどうするべきか。当たり前のことですが、子ども達は視覚的なものが一番わかるのです。「目の人」ですから。視覚的手段:手話、指文字、絵カード、文字、ジェスチャーなど、を使うこと。使い続けること。そして、周りが聞こえにくさへの理解を深め、家庭での丁寧なコミュニケーションを大事にしていくこと。子どもの聞こえにくい世界を常に想像し、その世界に寄り添うこと。

 

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嬉しいお便り

こんな嬉しいメールが届きました。

ハート&コミュニケーションに来ているAくん、年中さん。最近、場面にあった表現が少しずつ増えてきました。

庭にプラムの木が2本あるのですね。プラムが大好きなので5年前に植えてみました。植えたときはヒョロヒョロで、小さい苗木でした。2本別の種類があると、自然に受粉して実がなる、と聞いたので、狭い庭に2本を植えてみたのです。3年目になると桜の花のようなちょとピンクかかった花が咲くようになりました。4年目にはその花のあとに実がなるようになり、収穫できるようになりました。1本の木でたぶん300個くらいの実がなります。すっご〜く甘い。

実がなっている間は毎朝収穫して、採りたてを食べます。食べ切れないので、ジャムにしたり、果実酒にしたり、シロップにしたり、お裾分けをして食べてもらったりしています。

そのプラムの実を全部採らないで、今年はわざと残しておいたのですね。ハート&コミュニケーションに来る子ども達に収穫体験をしてもらおうと思って。ちょっと熟しすぎて柔らかくなってしまうことが心配でしたけれど、どうにかもちました。

 

さて、そのAくん。私がまず実を採る様子を見せました。

「プラム、エイって採るよ〜!」

採ったプラムをAくんに見せると、「トマト」と言っていました。赤くて小さいから、トマトに見えたのでしょうね。

「これ、プラムだよ。甘くて美味しいよ。」と伝えましたが、どうしても「トマト」。

さて、収穫したプラムを食べてみました。まずは食べるところを見せ、Aくんにも食べてもらう。こわごわ口にいれていましたが、気に入って食べてくれました。

 

その日の夜、次のようなメッセージがママから流れてきました。

 

<本日はありがとうございました。

「くみこせんせい、たのしかったね」「プラム、おいしかったね」と言っていました(A 本人からです)。

こうやって言うのは無論初めてですし、せっかくの療育での思い出をこうやって息子と語れるのが嬉しいです。>

 

やっぱり体験が大事ですね。

あんなにトマトと言っていたのに、ちゃ〜んとプラムって言えていて、プラムというイメージがたくさんAくんの中に入った、という証拠です。

 

以前、本末転倒の療育現場を見たことがあります。

子どもが並んだ絵カードから言われたカードを取る、ということをしていました。

「えんそく」と言われて、「えんそく」の絵カードをとっていたのですが、その子は実は一度も遠足に行ったことがない!とのこと。

 

ことばを増やすことに躍起になり、「ハイ、絵カードね!」ということになってしまうのかも知れませんが、それでは本当のことばは育ちません。ことばは当たり前のことですが、やはり心と心のつながりであるコミュニケーションの中で育つのです。そして、実体験がことばの力を後押しするのです。

 

これはうちの犬。納戸に入っているボールが欲しくて訴えています。

「ペットボトルで遊ぼうよ」と誘っても、「いえいえ、ボールでお願いします」と言っているところ。

 

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第41回 ろう・難聴教育研究大会のご案内

ろう難聴教育研究会 第41回夏の大会

 

ろう難聴教育研究会の夏の大会が来週開催されます。

今年は大会での初めての試みとして、「ヴァンサンへの手紙」の映画上映を行います。その後、この映画を日本に紹介してくださった牧原依里さんと「デフヴォイス」「慟哭は聞こえない」の著者である丸山正樹さんとの対談が行われます。

 

2019年8月24日(土)・8月25日(日)

会場:日本大学文理学部 オーバルホール(図書館3階)

問い合わせ先:Fax 03-3884-9582  info@edh.main.jp前田芳弘

       Tel 03-3579-8355 森崎恵子

参加費:会員一般 2日間 5000円 1日のみ参加 3000円

    会員学生・親   2000円         1000円

    非会員一般    7000円                4000円

    非会員学生・親    4000円        2000円

 

<プログラム>

8月24日

10:00~12:00出版記念講演 南村洋子

13:00~15:00 映画上映「ヴァンサンへの手紙

15:00~16:30 牧原依里(映画作家)さんと丸山正樹(小説家)さんとの対談

 

8月25日

9:00~10:20 出版記念講演 矢沢国光

10:30~12:00ろう学校の教育実践報告「自ら遊び、自ら学ぶ<ろう保育>を掲げて」

      戸田康之(大宮ろう学園)

13:00~16:50 「聴覚障害教育は人工内耳とどう向き合っていけば良いのか」

      医療の立場からの情報提供・問題提起 斎藤宏(帝京大学病院 言語聴覚士

      幼児期からの人工内耳装用者の思い 

                        田口佳祐(千葉県立柏特別支援学校教員)・宮寺智成(appleストア)

         曽根一輝(松山聾学校教員)・設楽明寿

 

 

    

 

 

 

子どもたちとその環境

すっかりご無沙汰してしまいました。

 

ある先生と話をしていて、今の日本の問題を感じました。

「うちの孫の以前通っていた保育園は園庭がなかったんだ。帰宅した孫に「今日はお散歩に行った?」と聞くと、「うん、行ったよ。ぶらり散歩!」って言うんだよね。大きな箱型のベビーカーに4〜5人が押し込められて、それで散歩に行くんだよ。それが散歩なんだよ」

な〜んて話をしていました。

そのほかにも、プールは狭いベランダ。遊びは部屋の中でおもちゃで遊ぶ・・・

 

以前、幼児教育を研究していらっしゃる青木久子先生が「子どもは天と地の間で育つ」とおっしゃっていました。つまり、太陽と空と大地がある屋外での遊びの中で育つと。

 

日本は教育にお金をかけない国なのだなぁ〜、とつくづくと思います。待機児童を少なくする対策として、保育園を建てたのはいいけれど、子ども同士がかけがえのない幼少期を過ごすにはお粗末過ぎる。保育する箱があって、子どもなん名に保育士の先生がなん名をとにかく集める。遊びは適当にオモチャをあてがい、園庭はなくても近くの公園がその代わりになるようならそれでOK!そ〜んな感じ。

 

小さい頃の子どもの遊びって想像力を育てるためにとても大事。たとえば、子どもたちがハマるごっこ遊び。ヒーローごっこ、お姫様ごっこ、先生ごっこ、お母さんごっこ。あるいは物語をそのまま再現して遊んだり、その舞台をみんなで作ったり。そんな遊びをするにはやっぱり「天と地の間の空間」が必要になってくる。公園でやるには1回1回片付けないといけなくなったりするから、やっぱり片付けなくてもまたすぐにその続きができる場所があるといい。

 

河合隼雄先生が本の中でこんなことを書いています。<子どもは ごっこ遊びの中で遊ぶことで、自分は強いんだ、正しいんだ、というのを体験できる。問題はこれで終わりか、と思っているところに、また追い討ちがくる。そんなことも遊びの中で経験できる>

 

三つ子の魂百まで、というけれど、これからの日本の未来である小さい子どもたちが、たくさんの豊かな経験を享受できる環境で育ちますように!と願わずにいられません。

行政の方!ぜひ、考えてください。自分の子どもだったら、自分が子どもだったら、という想像力のもと!

 

そんなことを考えた数日間でした。

 

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すべては想像することから

ろう学校の乳幼児教育相談と発達センターでのお仕事をずっとしています。聴覚障害発達障害のお仕事で、分野は違うのですが、仕事の核になる考え方は同じだな、とつくづく思います。

 

大きな類似点は、親御さんにお子さんの特徴をお伝えし、その子のことをできるだけ理解していただくように支援をする、ということです。

 

今朝、テレビを見ていたら、新国立競技場をデザインした隈研吾さんがこうおっしゃっていました。<自分中心で考えない。木に寄り添わないと、良い木造建築はできない>

宮大工の西岡常一さんも「木のいのち 木のこころ」で同じようなことをおっしゃっていました。私がさせていただいているお仕事は、まさにこの考え方に通じるものがあります。

 

聴覚障害分野で言えば、お子さんの聞こえない・聞こえにくい世界を理解していただくように親御さんに伝えていく。聴覚障害とはどんな障害なのか。どんな風にコミュニケーションをとっていけば良いのか。子どもはどんな状況で日々を過ごしているのか。そしてどんな大人になっていくのか、などを親御さんに伝えていく。そして親御さんがお子さんに寄り添えるように。立ち位置が<聞こえる自分>ではなく、<聞こえない・聞こえにくい子ども>に合わせられるように。

 

発達障害分野では、子どもたちはどんな世界に日々暮らしているのか。お子さんの一見すると困った行動が、何からきているのか。どのようにすればコミュニケーションをより良くとれるのか。お子さんの発達の状態や特徴。どんな風に成長し、どんな風に支援をしていく必要があるのか。親御さんがお子さんに寄り添えるように。

 

私は子どもたちの代弁者として親御さんに伝える。親御さんの様子やキャパシティー、そして親御さんと私との関係性も考慮して、今、お子さんに関することで伝えておいた方が良いことは、たとえそれが厳しい内容であったとしても伝えていく。それがきっとこの子のためになるから。

 

そんな気持ちで日々お仕事をさせていただいています。

 

たぶん、すべては想像することから。

愛すること、信じること、想像すること。

子どものことを愛すること。子どもの成長を信じること。そして子どもの生きている世界を想像すること。

 

庭の大石プラムに今年も実がつきました。すっごい甘い!木が大きくなりすぎて、高いところの実は取れなくなってしまいました。

 

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南村洋子先生の本

南村洋子先生の2冊目の本ができあがりました。

「子どもとママと担当者と3年5ヶ月の軌跡」という本です。この本は、保護者が書いた生活の記録に南村先生がコメントを書く、という形の実践事例集となっています。

何歳何ヶ月頃にはどんな関わりをして、子どもとはどんなコミュニケーションをとり、どんな遊びをしているのか。聞こえない・聞こえにくい子の子育てだけでなく、聞こえる子の子育てにも参考になる本だと思います。

 

では、本の一部を抜粋・・・

2歳5ヶ月の頃のとも君

<(母親の記録)よる、家族で団欒中にともが「お父さんとお母さんとお兄ちゃんとともと動物園に行った。ともは馬に乗った。お兄ちゃんは黄色いヘルメットをかぶって、馬に乗った。ともはピンクのヘルメットをかぶって、馬に乗った。ともは高くなった」と話した。お父さんが「動物園で一番楽しかったことは何?」ときくと、ともは「にんじん、ヤギにどうぞして、ヤギ食べた」と答えていた。お父さんが「ヤギはこうやってベロ出して食べたね」とヤギの真似をすると、ともは大喜びで同じように真似をした。お父さんは、ともが今日あったことを思い出して、自分から話し出したことに感動し、コミュニケーションが取れることに驚いていた。>

<コメント:過去の経験を語れるようになったとも君。そのようすに驚き、喜びを隠せないお父さん。そうです。とも君は耳が聴こえないだけです。コミュニケーション手段が、聴こえる人とちがうだけでした。コミュニケーション手段を幼い聴こえない子どもに合わせるだけで、家族団欒のときに、対等にお話ができるのです。楽しい団欒が家族みんなのものになっています。>

 

2歳5ヶ月の頃のあるお子さんの様子です。この2歳5ヶ月になるまでに、家族が手話(と音声を使って)で丁寧にコミュニケーションを取ってきた積み重ねがあることを忘れてはいけません。<ただ単に手話を使えばいいのか?>ということではありません。手話を共通言語にして、子どもの視線の先にあるものを一緒に見て、子どもが今何を見ているのかを考え、何を考えているのかを想像し、子どもと視線を合わせ、子どもの心に寄り添い、共感しながらのコミュニケーションを毎日とってきた結果なのです。

こうなるまでにどんな関わりが必要なのか?この本を読まれると、たくさんのヒントが見つかると思います。

 

ご購入希望の方は、
ろう・難聴教育研究会事務局(前田芳弘)
tcymaeda@hotmail.com
Fax:03-3884-9582
(1冊1000円)

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