『ことばの相談室』徒然

ことばやコミュニケーションについて心配や気になること、お子さんに聞こえの問題があり子育てに不安がある、発達全般について心配がある・・・などなど、国家資格を有するカウンセリングサロンです

ビックリ! フランス流子育て

9月に入りました。昨日から新学期ですね。

 私はフランスで息子たちを出産しました。その子育てエピソードでちょっとビックリなことをお話しします。もう随分昔の話になってしまいますが。

 

出産した次の日、日本のようにお風呂の入れ方とかそういうのを習う機会がなかったので、どんな風にしたら良いのかを看護婦さんに聞いてみました。すると、「じゃぁ、後で来て」というので行ってみました。行ってみると、その部屋は大きな流しが並んでいる場所でした。看護婦さんが息子を腹ばいにさせヒョイと片手で持ち、「見ててね!」とその流し台に行き、流しの蛇口で新生児なる息子の身体と頭をササっと流して洗い始めました。もう、ビックリ!もうカルチャーショック!日本ではタライとかで薄いタオルをかけて大事に大事に洗うと思うのですが、違うの〜!? うそ〜〜〜!でも、息子だけでなく、他の子のこともそんな風に洗ってる! えぇ〜〜〜!

 

それからもう一つ。フランスでは38度以上になると熱がある、と言います。肉食のフランス人。きっと平熱体温が日本人よりも高いのでしょうねぇ。息子たちが熱を出し、小児科にかかると必ずこう言われました。「39度の熱があったら38度のお風呂に入れて。1度低いお風呂ですよ。」 ええっ!? 私のフランス語の聞き取り間違いかも知れないとフランス人の友人に確認すると、フランスではそれが当たり前、とのこと。郷に入れば郷に従え、ということでやってみると、案の定、大泣き。でも、まぁ、大丈夫でした。

さて、ある時、日本の小児科にかかった時にお医者さんに聞いてみました。「いやぁ〜、日本ではやりませんね。やらないでくださいね。気候の違いがあると思いますよ。」そして日本の友達に話すと大笑い。「それ、鬼ハハでしょ!」

 

それからもう一つ。息子が通っていた幼稚園の給食。すごいんですよ。メニューが!フルコースで出て来ます。前菜、メインディッシュ、チーズ、デザート。これにもビックリしました。今でも思い出します。

 

なんか懐かしいな。

と、ことばとは関係のない、異国での冗談のような本当の子育てのお話でした!

 

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アイコンタクト

知り合いから写真が届きました。生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこした写真。その腕の中に抱かれている小さな赤ちゃんは、ジッとお母さんの方を見つめています。すっごい!こんなに小さいのにちゃんと見てる!

授乳の時もジッとお母さんの方を見つめながら飲んでいる。しかもたいていの赤ちゃんは数ヶ月すればお母さんが見ている方向を一緒に見ようとしてくれます。これはコミュニケーションの基本である、一つのテーマを巡って話し手と聞き手となって関わり合う三項関係の元になる力であるとのこと。

 

アイコンタクトはコミュニケーションの基本。とっても大事な力。当たり前のことのように思われるけれどそうではない、と発達に偏りのあるお子さん達と一緒にいると思います。特に自閉的傾向があると言われているお子さん達は視線の共有が本当に難しい!スッとかわされるような感じがあります。彼らは自分と物の世界には入り込みやすいのですが、その中に人を関わらせることが難しい。

 

だからそのお子さんの視界の中にどうにかして入り込もうと、強制的にそういう場面を作ろうとこちらも頑張る!物を渡すときには物を目の近くにかざして視線を合わせるように工夫をしたり、物を介して遊ぶ時には工夫して少しでも視線を合わせられるようにしたりします。またその子の好きな身体を使った遊びに付き合ったり、身体に圧を入れたマッサージをしてみたりして、とにかく、「ねぇ!あなたの前に私がいるんだよ!」とメッセージを送り続ける。そのうちにこちらのことを認識してくれるようになり、視線が合う場面が増え、少しずつ良い関係ができると、表情も親和的に変化していきます。

 

どこかに隙間が空いていないかな、どこからかこじ開けられないかな。彼らの住んでいる世界を尊重しつつ、ちょっとお邪魔させてもらう。そんなイメージ!

 

ひとりこんな子がいました。と〜っても私の印象に残っている子。アイコンタクトが少しずつ成立するようになり、仲良くできるようになると、有難いことに私のことをとっても気に入ってくれました。私の姿を見つけると、遠くからでもダーっと走ってきて抱きついてくるのです。とっても可愛らしかった!個別では私のお部屋の物を何でも引っ張り出してしまうので、指差ししてジェスチャーで要求をする、ということを繰り返し、何とかできるようになりました。どうしているかなぁ〜。元気にしているかな?

 

 

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 うちの9歳の猫と燻製にした豚バラ肉。なんかいい感じに写ってる。

読んでいただき有難うございました。

あっ! ゾロ目だ!

さっき何気なく時計を見たら 11:11。ゾロ目でした!

このゾロ目を見るとある男の子を思い出します。

私が担当していた発達に遅れのある、自閉的な傾向がある男の子。数字がとっても大好きで、見通しをつけるのによく数を利用していました。

 

例えば、何時にお勉強(個別指導のことをお勉強と言っていました)、終わる時間は何時。今日のお勉強の課題は 1番目〇〇、2番目〇〇・・・4番目〇〇。4番目が終わったら遊ぼうね〜、など。お話しで伝えるだけではなく、視覚的にも書いて伝えていました。見通しが立つだけで落ち着いて課題に取り組んでくれるのですよね。この子だけでなく誰でもそうなんだと思います。やっぱり安心できますよね。

 

何の課題の最中だったのか忘れてしまったのですが、デジタル時計の数字が11:11 でゾロ目だったのですね。その男の子が「あ!1111!」と大喜びしたのです。私も何だか嬉しくなって一緒に喜んだのを覚えています。なんかその子の気持ちが理解できたというか。ゾロ目ってスッキリしていて、気持ちいい数字です。それで何だか分からないけど、見れて得した感じがする。不思議。

 

起きた時、何気なく見た目覚まし時計がゾロ目だったりすると、「あ!ゾロ目だ。」と思うようになりました。そうするとその子のことを思い出します。

今頃どうしているのかなぁ。もう、すっかり大きなお兄さんのはずです。今でもゾロ目が好きなのかな〜。

 

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夏の間にやってみたかったこと!

今年の梅雨は雨が降らなくて暑くて夏になったらどうなるんだろう、と思っていたら、8月に入って雨ばかりで、昨日の夜は涼しくてビックリ。

今年の夏、チャレンジしたいことがありました。

一つはこれ。左かららっきょう漬け、梅シロップ、梅干し。

らっきょう漬けはお世話になっているF先生から毎年いただいていたのですが、今年は自分でも挑戦してみようと思いやってみました。やってみると結構大変な作業でビックリ!特にらっきょうの皮をむくのが大変で、そのあと数日間、手先にらっきょうの匂いがついてしまいました。F先生、いつも有難うございました。

梅シロップと梅干しは毎年作っています。今年は天候不順で梅を干す日を探すのがとっても大変でした。

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それから、ぬか漬け。暮らしの手帖に土井善晴さんの「ぬか漬けを始めよう」という記事が出たのでやってみました。お米屋さんから無農薬の米糠をもらい、ぬか床を自分で最初から作ってみました。ぬか床って臭い、というイメージがあったのですが、全然違うのですね。ぬか床が出来上がるまでお米の糠の良い匂いがしていました。必要な材料は糠と塩、それだけ。他にも色々入れるのかな?と思っていたのですが、それだけでとっても美味しく漬かるのでこれにもビックリ。昔の人の智恵ってすごい!

今日はお盆。実家にお墓まいりに行きます。きゅうり2本、母に持って行ってあげようと思っています。

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手話詩より

「聴者の母に捧げる歌」

 

あなたと私

異なる世界、異なることば、異なる人生の経験

あなたは聞こえる世界に育ち、ろう者を知らない

私はろうの世界に育ち、聞こえることの厚かましさを知り尽くしている

 

そのあなたに男児が生まれる。ろうの!

あなたのショック、私の驚き、そして喜び

 

あなたは子どもを自分と同じに育てたい

けれど育った彼は私と同じ

髪と目と身体はあなたと同じでも

耳と魂、ことばと世界は私と同じ

あなたの息子

でも私の仲間

彼はだれの子?

 

彼は木

仲間がいなければ枯れ、魂を失い、自分をなくす

けれど、あなたがいなければ木もなかった

私たちの仲間もことばも絶えてしまう

 

私たちが戦えばそれは鋸のように木を倒す

やめよう、手をつなぎ受け容れよう

木を育てるために、高く、天高く

 

 

この詩は エラ・マエ・レンツ という米国の女性ろう者が手話で語った詩の日本語訳です。だいぶ前にこの詩を何かの本で読み書き留めておいたものです。

以前、聞こえない子を育てている聞こえるお母さんが言っていました。下にちょっと歳の離れた兄弟が生まれる時「聞こえない兄弟が生まれますように。」って聞こえないお姉ちゃんはお願いしていたそう。本当に聞こえない兄弟が生まれて、お姉ちゃんは大喜びだった、とのこと。

聞こえる親から聞こえない子が生まれる。そしてそこから聞こえない世界へ続く枝葉が脈々と伸びていく。

 

その子の ことば

発達がゆっくりな聞こえる5歳の男の子。簡単な指示を理解することができるようになり、自分からもジェスチャーなどを駆使して伝えようとしてくれます。

 

ある日の個別指導でいきなりズボン(パンツも)を下ろし始めました。その子との個別は初めてだったので私もよく分からずビックリ。急にトイレに行きたくなったのかな?と思いました。

「トイレなの?」と聞くと、ドアの近くに立ち、もう我慢できない〜!みたいな感じに手をドアに向かってかざすので、お母さんとトイレに行ってもらいました。トイレから帰って来て、お母さんにちょっとお話を伺うと、どうも「嫌」な時にズボンを下ろすよう。お母さんも困っていました。

 

なるほど。この子は「嫌な時」「もう終わりにしたい時」言葉では伝えることが難しいのでこういう手段になってしまう。今までの経験の中で、いきなりズボンを下ろしてみたらその場から立ち去ることが出来たので、きっと“こういう風にすれば終われる”と誤学習してしまったのでしょう。

 

さてさて次の個別でも同じようなことがありました。セラピーを行なっている最中にまたまたズボンを下ろし、漏れちゃうよ〜、アピール。一瞬焦ったのですが、そうだった、そうだった、と思い出し、

「もうお終いね。分かった。もう嫌だね。じゃぁ、これで遊ぼうか?」と素敵なおもちゃを見せると目がキラキラ。「じゃぁ、ズボンを履こう。恥ずかしいよ。」「こっちはお終いね。片付けよう。ポイポイ。」と片付け始めると、自分からズボンを履き、片付けを一緒にしてくれました。うふふ!

 

直ぐには修正できないかも知れませんが、こういうことがあったらその度にその子の気持ちを代弁して伝えてあげる。そのうちに「お終い」と<ことば>で伝えてくれる日がきます。きっと!

 

岡本夏木先生の本の中にこんなことばがあります。

<障害児にことばを生み出させる試みに従事する中で、同時に私たちは、彼らのことばが私たちに教えてくれているものを捉えていかねばならない。私たちは、障害児のことばや子どものことばを、自分たちに比べて、低い、未発達で不十分なことばとして捉え、それを私たちのことばへ近づけることにおいてしか、彼らとの言語的関わりを考えていない。しかし、彼らとのコミュニケーション事態の中においては、子ども達も私たちも、ともにひとりの人格的存在として、自己を表現し、相手と通じ合いを求めてことばを用いているのである。そのことにおいて、彼らのことばがいかに変則的であり、またたどたどしくとも、それが持つ意味は大きいのである。そして、私たちが自分のことばのなかにすでに忘れ去っているようなことばの本質が、障害児や子どものことばの中に珠玉のごとく光っているのを見落としてはならないだろう。>

 

日々、お子さん達から学ばせていただいています。

長くなりました。お読みいただきありがとうございます。

特色あるろう学校〜夏の大会より

2日間に渡って開催された<ろう難聴研究会>の夏の大会が本日終了しました。たくさんの方に来ていただき、有難うございました。

今回の大会では3本柱での内容になっており、一つは乳幼児教育相談がテーマ。二つ目は、ろう教員の取り組みについて。そして3つ目は、特色あるろう教育について。

 

特色あるろう教育では千葉ろう学校、栃木ろう学校、明晴学園の先生方からのお話しを伺うことができました。

 

栃木ろう学校の同時法という教育方法についての講演では、50年前に同時法を考え出した先生方の熱い想いが伝わって来ました。そしてその当時の栃木ろう学校の先生方が考えたという障がい者観についての話がありました。

 

<この社会は、聾者と聴者で構成しており、相互にその立場を尊重し合うものと考える。聾者は聴者のようになる必要はなく、聾者が聾者としていきていくこととは当然の人間の権利である。聾者が聾者として生きてゆく意義は高揚されるべきものだと思う>

50年前に考えられたとは思えない内容に驚き、感慨深いものがありました。

 

どうぞ地域のろう学校がこれからもずっと存在し続け、聞こえない子ども達の故郷であり続けますように。

 

お読みくださり有難うございました。