ガラスのような心
私は聞こえない・聞こえにくい子ども達と親御さんとの関わりもありますが、もうひとつ、発達に偏りのあるお子さんと親御さんとの関わりもあります。子ども達の心はまるでガラスのようです。なんて生きにくい世界に住んでいるのだろうと思います。私はできるだけ子ども達の代弁者となり、そのお子さんについての理解を親御さんが深められるように導いていく。それが仕事。
わざと相手が嫌がることをする子がいます。例えば、持っているペンで所構わず落書きをしてしまう。一見するとすっごく困った子。でも、その子にはその子なりの理由があるのです。どういうときにそれが起こるのかを見てみると、何かその子に負荷がかかったときや不安や心配が襲ったとき。ちょっと難しい課題に挑戦するとき。あるいは、ママと私で話をしているとき。その子は不安で不安でたまらないのでしょう。
落書きをしてしまったので、いっしょに消すことにしました。どうして消す必要があるのか、そして、落書きをすることでどんな困ったことがあるのかを、その子が分かるように伝え、いっしょに消すための道具を取りに行くことにしました。
道具を取りに行く途中、その子に伝えました。「ママとお話ししてる。心配しないで。大丈夫だから」と。するとその子は「うん」と言い、その後は困ったことをしないでも過ごすことができました。
数字にこだわりがある子。「(お遊びは)時計の針が6をさしたらお終いね」など伝えると、いつになったら6になるのだろう、と心配になり、時計から目が離せなくなり、結局なにも遊べない、ということが起こるようになりました。その子にとって時間は途切れなくつながっているものではなく、点なのでしょう。数字は好きなのですが、セラピーでは数字を扱うことをお休みしました。時計も片付けました。
不安な気持ちが高まると、「投げちゃダメ」と言いながら物を投げ始める子がいました。ママは「投げてはいけないということは、そう言っているのでわかっていると思います」と言っていました。でも、そうではないのです。本当は分かっていないのです。
ママに「お子さんが物を投げているときに、なんて言っている?」ときくと、案の定「投げちゃダメ」と言っていました。
その子にとって、不安な気持ちが高まり物を投げ始めると、ママが「投げちゃダメ」というので、その状況を「投げちゃダメ」と覚えていたのです。投げてはいけない、と理解しているわけではないのです。その状況で聞いた言葉をそのまま言っているだけ。
セラピーで「投げちゃダメ」が始まったので、私はその子の言いたいことを伝えました。「もっと遊びたいんだよね」と伝えると、こちらを見ながら「もっと遊びたい」と言います。「そうだよね。わかるよ。もっと遊びたいの」と伝えると、物を投げなくなりました。
発達に偏りがある子どもと接するときは、表面に現れない部分、深い部分でのその子の本当に伝えたいこと、その子の気持ちに自分の視点をもっていく必要があります。表面に現れたものに固執してしまうと、本当のその子に出会えないのです。表面に現れたものに注目し過ぎない。
子ども達はガラスのよう。それを親御さんに伝えます。
ハート&コミュニケーション
関根久美子(言語聴覚士)